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猿でもわかるハードコアなフーコー、あるいは全世界を流謫の地にするためにー無限の単なる否定ではなく、内発的に臨界と起源を問う力能に満ち満ちた有限存在である山浦についての自論、すなわちキュクロプスとポリュトロポスの狭間でー



フーコーの著作『精神疾患とパーソナリティ』(この本の邦訳の99ページはすごいことが書いてある本です。『ほんとかよ笑』と思ったらそこだけ開いてみてください。)の中に分裂症の患者が次のように証言する場面がある。「わたしは世界から除け者にされ、生活の外部にいるようでした。わたしの目の前で、混沌として映画が映し出され、わたしはただそれを眺めているだけで、一度も参加できなかったのです。」これが、デカルトでなくてなんだろうか。デカルトの『方法序説』は、離人症的体験のモノローグとして読めるのではないだろうか。自分の自分からの疎外(アリエナシオン)の記録である。デカルトはその胡蝶=誇張的懐疑の階梯として夢を用いるのに、なぜ自分の思考がすでに狂っている可能性については問わなかったのだろう。なぜなら、デカルトの時代、狂気は制度的に疎外されていたからだ。(フーコーは思考する主体から狂気を除外したのに対して、一方で言語の畑が好きなデリダは懐疑の対象から言語の意味を除外したのだと訂正した。)



僕にとって、フーコーは、カントからニーチェの通路を、『歴史的アプリオリ』という概念を使って、こじ開けた人という認識です。ドゥルーズは、フーコーから、次の世紀はドゥルーズの世紀になると予言された。僕もそう思う時がある。しかし、『フーコーとは誰か』。この質問はフーコーが最も嫌ったものだ。なぜか。フーコーは『ジュードヴェリテ』(真理の戯れ)を発想した。これは、ひたむきな遊びである。ジューはプレイのことだから、遊びでもあり、演劇でもある。彼の人生は、「ソクラテスの仮面の下で、不意にソフィストの笑いが炸裂する」演劇であった。どういうことかというと、フーコーにとって、『自己』や『真理』というのは、もはや固定的に見られた硬直した存在ではなく、見る主体と見られる対象との間にその都度結ばれる関係であり、主体も対象も生成という観点から捉えなおされることによって、何らかの所与の関係に拘束されるものではなく、むしろそれを能動的に形成するものであり、主体となるということは、何を対象とするかと相関的であり、この主体と対象、両者のうちに成立する空間こそが『真理のゲーム』なのだ。この真理のゲームを通してのみ、主体は真実を語る。これほど自分探しの罠から逃れる術を美しく語った『舞台の上の哲学者(フィロソフス・スケーニクス)』はいないだろう。


フーコーが自己自身であることを拒否する病気、すなわちエイズで死んだ時、棺に向かって、ドゥルーズフーコーの『快楽の用法』を朗読した。以下はドゥルーズフーコーの棺に向かって、しわがれた声で朗読した内容の全文である。僕と山浦は、こんな関係を築けるだろうか。僕はドゥルーズが盟友フーコーの棺に向けて語りかけたこの言葉をいま、読み返す。


ー私を突き動かした動機は極めて単純なものでした。しかるべき人の目にはそれだけで充分だと映ってほしいような動機、すなわち好奇心です。しかしそれは、粘り強い修練を積む価値のある特別な好奇心です。つまり、知ると都合の良いことを手に入れようとする好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にするような好奇心です。仮に、知へのひたむきさが、知見の獲得のみを保証し、特定のしかたで、出来うる限り、知見者が道を踏み外さぬようにする点にあるのだとすれば、どこに物を知る価値などあるでしょう。人生には、いつも考えるのとは違う仕方で考えることができるのか、いつも見ているのとは違う仕方でものを捉えることができるのか、これをこそ知るということが、ものを見据え、反省を加えることを継続するのに不可欠の問題となる、そういった転機があるものです。哲学。哲学的な活動という意味で言っているのですが、それが思考の思考自身への批判的作業でないとしたら、今日の哲学とはいったいなんだというのでしょう。もしまた哲学の本領が自分のすでに知っていることを正当化する代わりに、他のように考えることが、いかに、どこまで、可能であるかを知ろうとすることを企てることのうちにないとしたら、いったい哲学とは何でしょう。哲学的な言説には、自らに疎遠な知に関して修練を積むことで、それ自身の思考のうちで、何が変わりうるのかを開拓する固有の権能があります。この試み、すなわち自身の変容のための試練という意味であって、他者を単純化して自己に同化するという意味に解されてはならないこの試みこそ、哲学の生きた身体であり、少なくとも、哲学がかつてあったように依然として今もあるとすれば、思考における、いわば修練、自己自身の鍛錬です。ー



いやーこれ普通に泣けますね。もはや、フーコーについて、大切なことはドゥルーズが言ってしまったように思う。このすっげぇかっこいい方の好奇心ってなんだろうか。ポリュトロポス的好奇心である。有限な存在である人間に、世界は一挙にその全貌を表すことはない以上、われわれとしては、自らの生存を賭けて、あらゆることに対して、位置をずらし、角度を変えて、これを見つめるしかないじゃないか山浦。



エピステーメーについて、分かりやすく言うと、知の編成のことである。全然分かりやすくないので、言い直す。歴史は経験を可能にする条件として働くということだ。これを歴史的アプリオリという。では編成とは何かというと、結び目のネットワークのことであり、それは遠くから見ると、布に見える。布に見えるから、時間が経つと、重なる。重なると地層、ミルフィーユみたいにペラペラめくれる。これがエピステーメーだ。いまんとこ3枚のエピステーメーが知られている。つまり歴史は3枚の非連続な布でできてるってことです。時代順に、ルネサンスの相似エピステーメー、古典主義の表象エピステーメー、近代の有限性エピステーメーです。これらをタペストリーと言ったり、タブローといったりします。これらの共通の枠の中で、「学問」とかいうなんかよくわかんない制度は語られたのです。


相似エピステーメーとは、めっちゃアナロジー使ってくることである。シェイクスピア十二夜なんか典型です。双子がいて、少し違っているんだが、それは隠れているだけで、いずれ隠れている方にもその特性が発現するという話である。騙し絵、錯覚、二重劇、取り違え、夢と幻想の戯れである。演劇は世界のこうした傾向を真似るから、世界劇場という演目が流行する。シェイクスピアはこれだ。



しかし、だんだん相似エピステーメーは土台がないことが、つまり、アナロジーの罠にみんなが気づいてくる。それに代わり表象エピステーメーがやってくる。絵画、地図、演劇、言語、擬音、は再現ではなく、表象とは代理の時代だ。類似性を前提していない。だから、古典主義時代は、言葉・生物・富の分類、分析、交換も表象エピステーメーのネットワークの上で行われる。前期と後期に分けよう。前期は表象であり後半はそれが欲望に結びつく。



例えば前期の典型例は、表象行為自体を表象した古典主義のベラスケスの『ラスメニナス』。絵の奥の方に鏡が見える。この鏡の中の二人は誰かというと、スペイン国王フェリペ4世と王妃マリアーナである。てことは、位置関係から言って、裏返ってるキャンバスの中に描かれているのはこの二人だ。そこを王女のマルガリータが見に来たのだ。てことは、この画面を切り取ってるのは被写体である国王夫妻の視点だ。しかし、それがこの絵の鑑賞者の視点と二重化されている。ちょっと整理しよう。どんだけ表象されとんねん。アホか。えっと、この絵で何が起きているかというと、「鏡にボヤけて映っている国王夫妻を描いている画家を見ている王女たちを国王夫妻が見ているその展望を画家自身が肩代わりして描いた絵を国王夫妻に肩代わりして鑑賞者が見ている」のだ。ということは、視線の主体は画面内に不在であり、主役である王は世界において不在である。これが類似性ではなく、純粋な表象に移ったことを表している。哲学史に置き替えるとどうなるかというと、デカルトは世界に対して観客であろうとしたということだ。デカルトが誇張=胡蝶的懐疑において想定した身体なき精神は、古典主義時代における表象の主体そのものである。これは言い換えれば、演劇の中で自分は不在の立場を守ろうとした。これがこの時代のエピステーメーだというのだ。それが最もよく現れているのが、サブジェクトという言葉である。最初は属性が宿る基体という意味だったものが、主観という特権的地位が与えられるようになった。つまり、色や音が物体の基体に宿るという考え方が人間にも直接敷衍され、色や音の観念は人間の基体に宿るとされたのだ。これによって観念の自閉世界から抜け出すことはできなくなった、し、科学的・観客的・客観的思考が可能になった。分かりやすく言うと、バラはしおれてもバラである。人間も老けたところで属性が変わるだけで、基体は変わらなかった。そこへ主観が登場したことで、同時に客観が登場した。その証拠に、オブジェクトの方も、思考内容という意味から客観的対象を意味するようになった。これにより有限な文法規則で無限の言葉を生成し、自分は死ぬのに連続的生命について考える生物学がうまれる。無限があって初めて、表象の幕から噴出できるのだ。デカルトによる主観発見までは、オブジェクトは主観的内容という意味だったのである。観念は外的事物を表象するものなんだが、デカルトはその観念による表象のうちにすべてがあることを出発点としながら、つまり全てはこの私の表象であるという独我論を出発点としながら、その系の内側から証明できる神の存在を使って、実在論を導いた。このとき、神は、「不在のまま全体を支えている」。あの、ラスメニナスの鏡の中のでボヤける王のように。ラスメニナスの王が目を閉じれば、あの絵は消えて、自閉世界しか残らない。王は神として描かれていたのだ。




まさに、この場所に、古典主義の後期からは、人間が座ることになる。つまり人間は起源を喪失する。カントのヒュームによる独断のまどろみからの目覚めは、人間学への再入眠だったわけだ。表象から欲望への転位と言ってもいい。カントは、古典主義時代の後半部で、ドンキホーテから目覚めたと思ったら、サドに入眠していたというわけ。文学の先行には本当に驚かされるね。どういう意味かというと、田舎娘を貴婦人として表象し、風車を竜として表象したドンキホーテは、ついに演劇の中の一人の登場人物になるのに対して、サドのジュスティーヌは、他者の欲望の対象としてのみ存在し、表象という冷たい外形を通してしか、欲望を感じることが出来ない。つまり、デカルトにあっては人間が問題にすらなっていないほど不在であったのに、そこへ超越論経験論二重体としての人間がカントにおいて挿入された結果、神を必要としない自律性はやっと達成されたが、今度は、ただちに人間理性の起源が喪失した。これらはすべて表象エピステーメーの中で起きた一連の流れである。まぁ、要するに、ハイデガーに言わせりゃ一発なんです。「客体がより客体的に現れ出れば出るだけ、それだけ一層主体的に、すなわち一層差し出がましく主体が立ち上がり、それだけ一層止めどなく、世界観察と世界論が人間論へ、人間学へと転化する。世界が像となることで、初めてヒューマニズムが始まるとしても、何の不思議もない」だってさ。さっすがハイデガー!何の不思議もない!はい。どーん!つまり、ものすごーく単純化すると、表象の構造って、欲望の構造に似てるよねってことです。「見る」って動詞は日本語の古文では欲望のことでもあるよね。これを今度は絵画論に置き替えるとどうなるか。マネの『フォリーベルジェール劇場のバー』が転換点であった。これまで絵画はキャンバスという物体を、絵の世界という表象空間に置き替えようとしてきた。しかし、この絵は、画布の持つ素材をそのまま現出させて使っているのだ。そのことによって、主観と客観の間に、自由な懸隔が生じている。女の視線は焦らしているように曖昧である。これが視線の戯れと呼ばれるものだ。意味がわからん。いったいどういうことか。ここでは、遠近法が脱構築されているのだ。奥にある消失点が無いため、鑑賞者の占めるべき位置がそこからの対応関係でこちら側に見出すことができないのだ。不在の王は本当に不在になってしまった。さっきのベラスケスだったら鏡に王の姿が不在ではあれどぼんやり写っていたのにである。しかしこの絵は描かれている。ということは、画家はここにいると同時に、いないのでなければならない。この両義性である。遠近法とは、一旦成立するや一般の人々のものをみるという経験を制約するような超越論的機能を持った、"時代の産物"である。だからそれを脱臼させてみたのだ。遠近法だって別に制度だよねと言いたいのだ。


さて、カントの人間学の眠りを覚ますのはニーチェであった。フーコーというと、有名なのは、人間の終焉という概念である。これで有名になったからだ。しかし、終焉する前に、そもそも始まっていたのだろうか。フーコーはこうも言っている。人間の死において、まさに神の死は完成するのだ、と。ならば、ニーチェによって神はとっくに死んだのだから、人間はとっくに終焉していた亡霊のようなものだったのだ。なぜなら、「人間」という概念自体が無限者との関わりなしにはありえないからである。神の死の前触れとして、人間の死があったよね。というか、遠近法ってさ、三角形を底辺で2個くっつけて描く描き方なわけよ。片方が消失点で、片方が鑑賞者の目ね。で、三角形と三角形がくっついてる底辺がキャンバスの底辺に重なるわけ。で、三角形とキャンバスの垂直線が交わる点で平行横断線を引くのね。これで奥行きが見える。で、消失点を神だとしたら、鑑賞者の視点こそが自己やん。てことは、有限な自己ってのは、無限な神の前提条件なわけです。でも、それが脱構築されちゃったわけだ。だって、新しい人間って有限じゃないんだもん。有限だけど、絶えず視点をズラしていく力能を持った、無限へ渾然と接続できるし、接続するたびにフィードバックを受けてまたズレていく、もはや人間とは呼べないような新たな存在。人間が死んだことで、生命力の横溢する欲望的主体が内側から突き破られて飛び出した。この横溢する生命こそ、病気や死、奇形や異常、偶然や誤謬といった、あらゆる逸脱を、それ自身のうちに本質的な契機として含んでおり、『非連続的な連続』のうちに生起するものである。生命は、『一瞬たりとも同じでないのに、一瞬たりとも途絶えたことがない』。身体は精神の監獄なのではなく、精神が身体の監獄なのだ。そしてそこに自発的に監禁されに行った人物がデカルトを筆頭にする近世的主観の境位であるとフーコーは暴露した。その監獄は神(という不在)しか外部を持たず、表象の世界に閉じ込められていたことが思い出される。主体化とは隷属化であるとはこのような意味だった。フーコーが晩年に注目したのは、やはりディオゲネスをはじめとするキュニコス派だった。ニーチェは、真昼間にカンテラを下げて市場をぶらつく男が、『俺は人間を探しているんだ』と答えたという逸話から、『神はどこにいる、俺たちが神を殺したんだ』と叫ぶ大いなる正午の話を換骨奪胎した。フーコーは、キュニコス派のこうした、パレーシアー(なんでも包み隠さず言ってしまうこと)を通して、魂のプラトンソクラテス的な純化ではなく、真理との関係を絶えず変えながら制度の恣意性を暴露していく一種のスキャンダルな生き方に、かえって狂気や獣性というものの尊厳を確認するという、他のように考えるという、そしてなにより、遊戯的なゲームの中で相手の自尊心に対して挑発を行い戦闘的・闘争的・韜晦的な対話を重ねることで、相手にも自分のうちにも、自己との闘争という修練の機会を提供する精神の崇高な運動を見出したのである。パレーシアスト・フーコーに相応しい幕切れとして、彼はドゥルーズに見送られた。