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精神分析とはなにか、あるいは<星座>とはなにかー山浦を精神分析するために調べたことー

デリダが言いたかったのは、「良いことがあると必ず裏には悪いことがある」ということではまったくない。そればっかり書いてある入門書っていうのはまじでなんなの。「良いことをしようと思うと工夫がいる」ということである。無意識とはどういう理論か。『…

猿でも分かるデリダ②、あるいは言語の外部に出ることはいかにして可能かーデリダ・フッサール・山浦ー

忘却しないと日常が成り立たない。忘却しないと正気ではいられない。たとえば永井均なら私の独在性を忘却していると主張する。つまり、私の単独性は忘却していないと日常が成り立たないというのだ。ラカンだったら死の欲動を忘れることで生きていられると言…

ある物理学徒、山浦への誠実な文系学徒からの応答。ーさしあたることについて、あるいは、さしあてることについてー

今から何ヶ月も前のことだ。ある日私は、山浦という友人に、無限後退について示唆されたことがある。今でも私はそれを覚えている。ずっと考えていた。メタのメタ。メタのメタのメタ。。。。そうやってどこまでも無限後退は続いていく。文系の分野からこの問…

山浦にしか伝わらないフッサール概論。

『世界は自我を超越しているのに、なぜ与えられるのか。』という問いを、既に自然主義や客観主義の一派である科学は、問いではなく既に前提にしている。反自然主義の基礎付けはフッサールの仕事だった。フッサールは心と世界は真理によって繋がると述べた。…

猿でもわかるハードコアなフーコー、あるいは全世界を流謫の地にするためにー無限の単なる否定ではなく、内発的に臨界と起源を問う力能に満ち満ちた有限存在である山浦についての自論、すなわちキュクロプスとポリュトロポスの狭間でー

フーコーの著作『精神疾患とパーソナリティ』(この本の邦訳の99ページはすごいことが書いてある本です。『ほんとかよ笑』と思ったらそこだけ開いてみてください。)の中に分裂症の患者が次のように証言する場面がある。「わたしは世界から除け者にされ、生活…

猿でも分かるメルロ=ポンティ、あるいは如何にして山浦くんとの見解の相違を止揚するかー時間・科学・隠喩ー

私には最近気になっていることが3つある。 ⑴デリダが自らをも解釈とするほど徹底的な相対主義の闇の中で、あえいでいるように見えてきたこと。 ⑵時間の流れについてだ。私がみたところ、時間が流れるためには3つの非存在が必要である。「かつて」「いつか」…

猿でもわかるデリダ①。あるいは、なぜ私は山浦くんに、それ固有の表現形式を持つはずの映画を、言語化することを強いたのかーあるサタニストの弁明ー

脱構築とはなにか。 一言で言うと、現象を確固不動の特定の本体へと還元し凝固し「繰り返そ」(=不在者への開口部を塞ぐこと、反復とは違う)うとする力、すなわちみずからを何らかの本体の現象として確立するにあたって自覚的であれ非自覚的であれ、それに…

なぜ神は存在しないのに、山浦は存在するのか。あるいは、余は如何にしてサタニス徒となりし乎。

まず、「神が存在しないことは神の定義に矛盾する。なぜなら神とはもっとも実在的な存在者であって、定義より存在するからである。」というアンセルムスの神の存在論的証明は誤謬である。何度でも強調していいことだが、概念から存在は導けないからである。…

山浦にしか分からないハイデガーの基礎的存在論、あるいは存在と時間についてー存在の意味を求めてー

自分が存在していることは明白である。なぜなら、デカルトのコギトがいう「私」とは、あの場合、私の存在のことだからである。(途中からデカルトは「私」という意味内容を「思考すること」から「思考するもの」に変えてしまっている。『省察』の133ページ、…

猿でも分かる有徳の無神論、バールーフ=デ=スピノザ、あるいは、自由にものを考える無神論者は不敬虔か。ー我が良き友にして聡明なる物理学徒、山浦くんからの訴追を逃れてー

スピノザはユダヤ人に追放されたユダヤ人である。無神論は白い目で見られた17世紀に、彼はいかなる宗派にも属することはなかった。オランダ人なのに、あのリベラルなオランダ共和国においてすら厄介者扱いされた。ポルトガル語が堪能で、学校ではヘブライ語…

猿でもわかるモナド論−失われた山浦くんを求めて−あるいはライプニッツのモナドロジーがおとぎばなしだと思ってる"無関心な"人々へ

モナドとはなにか。細胞のことだ。そう言いたくなる俺は、そう答えてからハッとする。モナドには窓がないじゃないか、と。そして前言を撤回する。モナドとはなにか。<自分>のことだ。私は合理論者である。ということは、つまり、個別的なものではなくて、一…